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NEC未来創造会議

3rd Forum TECHNOLOGY
新たな価値観・評価軸を体現する技術とその社会浸透

いまこそ、日本の立ち位置を考えなおす
──自虐とナショナリズムからの決別

近過去を見直すこと

松島:
建築も単なるハードではなくて人間とのインタラクションのなかで語られる機会が増えていると思います。開かれた技術としての建築の可能性について、藤村さんはどのように考えていらっしゃいますか?

藤村:
日本の建築のものづくりはインテグラル型と呼ばれていて、さまざまな業種の人々が定期的に集まってすり合わせを行なうことが得意だと言われます。一方でいまオープンイノベーションと言われるようなものは共通のプラットフォームの上で個別に開発を進めるわけですが、日本よりもアメリカや中国の方がこうしたモジュール型のつくり方に長けています。

松島:
オープンな方が競争も苛酷になりますよね。

藤村:
そうですね。だから日本のものづくりはクローズドなつくり方で実績を積んできたので、オープンイノベーション神話みたいなものが本当にわれわれの未来につながっていくのか考えた方がいいでしょう。くわえて日本の技術は島国のスケール感に合ったものなので、インドや中国の技術とそのまま比較することも難しい。わたしとしてはむしろ近過去というか、これまで日本がやってきたことから近未来を考えてみてもいい気がしています。

江村:
技術の話でもあり、文化の話でもありますね。たとえばアメリカは多民族国家なのでローコンテクストなプラットフォームを用意してそこにいろいろな人が参加するほうが向いている。一方で日本の文化はハイコンテクストだと言われることも多いでしょう。たしかに日本の方が閉じてしまっているかもしれないのですが、アメリカ型のオープン性を輸入するのではなく、日本のもつ価値をどう時代に合わせてデザインしなおしていくか考えるべきなのかもしれません。そういう意味でも、藤村さんが仰ったように、われわれの文化がつくってきた価値を見直していく必要がありそうです。

自虐から遠く離れて

松島:
ここで今日のテーマに立ち戻ってみると、成長と持続可能性に向けて一人ひとりが具体的なアクションを起こしていくためにこそ、ここまで議論したようなプラットフォームや場が必要であり、それらをつくるための思想や哲学が求められているわけです。さまざまなプラットフォームの方向性がありうるなかで、日本は今後どんな方向に進んでいくべきなのでしょうか。

藤村:
與那覇潤さんの『中国化する日本』という本では、国民と国家が契約関係を結ぶ欧米型のモデルに対して中国型の徳治主義が置かれています。COVID-19の影響を受けて欧米モデルが限界を迎えてもいますが、中国型こそが未来なのだと開き直るのも危険ですよね。日本は欧米型と中国型の間で国民と国家が曖昧な関係を結んできましたが、日本なりの関係性を模索しなければいけない。もちろん曖昧な協調関係は太平洋戦争のように空気に流される状況を生む危険性もあるし、先ほどのすり合わせによってイノベーションを生む可能性もある。日本はあまり自嘲的になりすぎずに、いまいちど自分の立ち位置を考え直すべきではないでしょうか。

松島:
なるほど。たしかに中国はいまも成長を続けていますが、単に追随しても意味がないですよね。

藤村:
まちづくりを考えてみても、中国の街って一見すごく魅力的なんですね。公園でお年寄りが水浴びしたり卓球したり、日本からすると非常に自由な空間が生まれている。そういった差異に目を向けると、日本は活気がなくてダメだなと思ってしまいがちです。経済成長できないのもいまの日本のなあなあの文化がよくないのだ、と。多くの人が自信をなくしてしまっている状況にある。でも、グローバル社会のなかで日本の特徴を発揮できる可能性を探ることも必要でしょう。その結果ナショナリズムに陥る危険性もあるので慎重にならなければいけませんが、ナショナリズムを避けながら自分の足元をしっかり見るような眼差しがもっとあってもいいのではないかと思っています。

ビジュアルコミュニケーションにできること

松島:
足元を見つめるという意味では、久保さんが紹介された女子中高生の話には、プラットフォームに順応させられているようで自発的にハックをしかけていくような姿勢が感じられました。彼女たちはどういうふうにバランスをとっているんでしょうか。

久保:
彼女たちと話していると、もちろんリアルな学校のクラスメイトとも仲良くしている一方で、バーチャルな世界でもっとたくさんの人とつながれば本当に自分と合う人がいるかもしれないと考えてるみたいで。たとえばInstagramでは少し前に「オルチャンメイク」という韓国風のメイクが流行っていましたが、あれってじつは韓国ではあまり流行っていなくて、むしろ日本の“盛り”の文化が韓国の女の子に影響を与えている。いまは自動翻訳で簡単に言語の壁を越えられますし、国境と関係ない交流が生まれている。インターネット上には分断やフィルターバブルが溢れているとも言われますが、そのうえで世界的にはつながりが増えているので、個々のコミュニティのなかにはこれまでになかった多様性が生まれているんですよね。彼女たちはよく「世界観」という言葉を使うのですが、同じ世界感をもっている人たちを重視している印象を受けます。

松島:
ナショナリズムに抗う一番の方法はほかの文化と身近に接することですよね。プラットフォームを使っている方々の方が、ナショナリズムへのカウンターになりうる文化をすでに築いているのかもしれません。

久保:
ノーベル賞やアカデミー賞など日本は既存の基準に振り回されて自身の基準を提供できていないともいわれますが、原宿の「かわいい」のように独自の基準を打ち出してるんですよね。言葉で発信できていなくても、ビジュアルコミュニケーションだからこそつながれるし世界を巻き込めているような期待を抱いています。

松島:
面白いですね。人々がつながるツールがあるからこそ世界の人を巻き込めるわけで、今日の問いでもある個と公共のつなぎ方を考えるうえでも、やはり企業が果たす役割は大きそうです。

想像力をもつ重要性

松島:
久保さんが仰っていたようなテクノロジーの影響力は、企業の側から見るとどう感じられるものなのでしょうか?

西原:
NECもドイツやアメリカ、シンガポール、インドなど世界中に社員がいて、さまざまな情報が上がってくるのですが、各国の人々とやり取りするなかで、わたしは日本の強みを感じています。もちろんどれかひとつの国がベストなわけではないので、いいところをうまくつなげる必要がある。先ほど出てきた「すり合わせ」という言葉を使えば、多民族のいろいろなアーキテクチャと文化をすり合わせるという考え方もありますよね。

松島:
まさに異なる文化のすり合わせが必要なのだ、と。

西原:
たとえばCOVID-19への対応においては、プライバシーを非常に重視していたEUが、3カ月前に規制の緩和を検討するガイドラインを策定しましたよね。一部の国が行なっていた感染者のトラッキングは本来抵抗感があるけれど、パンデミックがさらに広がった場合は感染対策のためだけならトラッキングしよう、と。プライバシーを重視する文化と非常事態の公共性のバランスをとろうとしているわけです。状況に応じていろいろなやり方を柔軟に取り入れることが求められている。

江村:
これまでNEC未来創造会議の議論ではマズローの欲求段階説のモデル図を描いて、下部の生理的な欲求はテクノロジーでコンバージェンスできると言われていました。そのうえで、上部の欲求は自己実現にかかわるので一人ひとりがチャレンジできる環境をつくらなければいけない。たとえば今日の議論で出てきた、間口が広くて奥が深い仕組みがあれば個人がチャレンジしやすくなりますよね。まずはそのデザインを考えるなかで、先ほど藤村さんや西原さんが話していた日本のよさをうまく入れ込んでいく必要があるのかなと。その点、NECはいろいろな技術を提供してはいるものの、技術が開く可能性に対する想像力がまだ足りていない。プリクラの開発に元ユーザーが参加することで成功したように、NECも多様なメンバーを迎え入れたり誰かとコラボレーションするチャレンジをもっと続けなければいけないのだなと思います。