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NEC未来創造会議

3rd Forum TECHNOLOGY
新たな価値観・評価軸を体現する技術とその社会浸透

技術と社会はどう関係しているのか?
──想定外の「使い方」が技術を変えていく

「技術屋には気をつけろ」

松島:
それではふたつめの問い「社会や人の豊かさを下支えするこれからのテクノロジーに必要となる哲学や思想とは何か」へ移ります。ここからはNECのCTO西原さんを加えて議論を進めていけたらと思います。西原さんはここまでの議論を聞いていかがでしたか?

西原:
技術が女子中高生のスタイルを規定するという話がありましたが、たとえばAIのような技術が発展すると人間に新たなケイパビリティをも与えるのではと感じました。ビデオチャットツールによって世界中の人がフラットに議論できる環境が生まれたように、技術のケイパビリティがこれまでと異なる世界をつくる可能性はありますよね。

松島:
なるほど。一方で、技術が発展すればアーキテクチャによる専制に陥る可能性もありますよね。藤村さんは建築に携わられるなかで、どのようにテクノロジーと付き合っているのでしょうか。

藤村:
建築は文理融合的なジャンルなので半分は技術ですがもう半分は人文社会学によってできていて、建築家はその真ん中に立っています。たとえばかつて前川國男という建築家は「技術屋には気をつけろ」と言ったんですね。「あいつらは間違えるときに大きく間違える」と。建築は経験工学なのでちょっとずつ失敗からフィードバックを受けて改善されていくのですが、それでも大きく間違えてしまうときがあると前川は言っています。ただ、技術が人々の認識まで変えてしまうようなレベルまで発展し、社会全体が大きく技術依存していくときに、それを批判していくことは非常に難しい。

松島:
だからこそ前川國男は技術に気をつけろと言ったわけですね。

藤村:
日本は技術立国と言われることもあり技術が良くも悪くも美しいものとして捉えられていて、事実1960〜70年代はさまざまなことを工学化して成功を収めていました。ただ、すでに1980年代にピークへ達していて、福島第一原発の事故などを経て自信を失ってしまっている。その状況をどうやって引き受けていくのか考えねばいけないでしょう。

NEC 取締役 執行役員常務 兼 CTO(チーフテクノロジーオフィサー) 西原 基夫

技術と社会の関係が変わる

江村:
技術と社会の関係性が変わってきているのだと感じます。科学技術はアカデミアのなかで閉じたものだったけれど、いまは社会課題を解くための科学技術が求められている。社会との接点が増えてきたときに、どう市民と向き合うか考えねばならない。一方で、MITメディアラボが提唱してる「クレブスサイクル・オブ・クリエイティビティ(Krebs Cycle of Creativity)」は科学と技術の関係性にべつの視点をもたらしています。これはサイエンスとテクノロジーとデザインとアートを循環させることでイノベーションを生もうとする考え方で、その4つがそれぞれ異なる役割をもっている。本当はさらに哲学も重要になると思うのですが、いずれにせよもはや科学技術万能主義や科学技術立国は成立せず、多様な能力が求められてます。

松島:
最近はトランスサイエンスという言葉もありますよね。

江村:
サイエンスでアプローチできるけど解を出せない問題がたくさん出ているわけです。たとえば遺伝子組み換え食品を食べていいのかどうかも、現時点では答えを出すことが難しい。それは科学が答えを出すというより、今日議論しているようなコンセンサスをつくることが求められている。これまではNECも技術の会社だと自己規定していたけれども、サイロ化したような状況をトランスサイエンスのような発想のなかでつないでいくチャレンジが必要になっている。そこにテクノロジーの活かし方のヒントも隠れていると思っています。

松島:
サイエンスの場合はどこの国でもその法則は変わらないわけですが、テクノロジーは国ごとにべつのものが実装されることがありえますよね。西原さんが人々に新たなケイパビリティを与える技術を想定されていましたが、たとえば合意形成のようなものに人の感情を読みとるようなものももしかしたらありえるのかもしれません。

想定されていない使われ方

松島:
久保さんが研究されている領域は、まさにテクノロジーとエモーションが近接するものだと思います。技術の使い方についてはどう考えられてますか?

久保:
ビジュアルコミュニケーションが好きな女の子たちにウケる技術がなんなのか考えていくと、「間口が広くて奥が深い」ところが共通しているように思います。プリクラもじつは機種によってシャッタータイミングや画像処理の内容も違うので写り方を調整しないといけないし、つけまつ毛も細かな調整が必要ですよね。

松島:
すごいですね、トレーニングが必要なわけだ。

久保:
あるいはInstagramもわたしたちの想定とは少し異なる使われ方をしていて。「いいね」の数を気にしているのかと思いきや、いまの女の子たちが気にしているのは「保存数」なんですよね。みんな写真に顔を写さないようになって、洋服やお店の様子を写すようになった。なぜ顔を写さないかというと、わたしの顔なんて誰にとっても有効じゃないから保存されないのだ、と。いいお店やいい洋服を載せると保存されて、誰かの参考になることがよしとされている。

松島:
評価基準が変わったことで、使い方も変わった、と。

久保:
Instagram側が想定していなかったような使い方をしているんです。一見簡単に使えるように思うけれども、掘り下げていくといろいろな使い方ができるような余地のあるもの。そんな余地を残すことで結果的に普及や息が長いサービスへとつながっていくように感じます。

使いこなせないものは不気味

松島:
久保さんが紹介した例のように、もともと想定されていない使われ方をすることで社会に普及していくことはよくあります。ある種の自発性というか、プラットフォームやテクノロジーをハックすることによって自己実現やより主体的な情報の発信が可能になっていく。意図されていないけれども社会に根づいていくものについて、西原さんはどうお考えですか?

西原:
女子高生が画像処理を使いこなしている一方で、たとえばAIによる画像処理に対して不気味なイメージをもっている人はまだ多いと思うんです。それは、使いこなせない技術に対して人は恐怖や不気味さを感じてしまうということなんじゃないかなと。使いこなせるようになるとテクノロジーはツールになるし、心理的にも自分がマスターだという感覚が生まれてくる。そういった関係性をつくりあげられたら、テクノロジーの親和性も高まって広く受容されていく気がしますね。

松島:
技術が使われる存在になることが重要だということですよね。

西原:
最初から完成形が決まっていて使い方が用意されているわけではなくて、ユーザーとの関わりのなかで技術そのものが発展していく余地を残したほうがいいのかもしれない。むしろその余地を重視していくことで、テクノロジーはもっと多くの人に使われていくのではと。

松島:
前回の有識者会議でも、経済学者の斎藤幸平さんが「閉じた技術と開いた技術」について語っていましたが、開かれた技術とはまさに西原さんが仰っているところの「余地」が残されていているものだといえそうですね。