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NEC未来創造会議

2nd Forum EXPERIENCE
ミラーワールドから“体験“を再定義する

意志を共鳴させる体験は可能か
──効率から離れた“つながり”の重要性

タンジブル/インタンジブルそれぞれの価値

松島:
ふたつめの問いは「2050年、意志の共鳴はいかに実装できるか?」です。2050年にデジタルとフィジカル、リアルとバーチャルが溶け合った世界で、NEC未来創造会議のテーマである「意志の共鳴」というものがいかに可能か考えていけたらと思います。たとえば今後XRによって体験が拡張されていく一方で、VRの世界に入り込んでよりフィルターバブルによる分断が加速してしまう恐れもありますよね。そのなかでいかに「I」という自分から「WE」という自分たちへつながりを拡張していけるのか。豊田さんは、コモングラウンドやさまざまなデジタルエージェントが生まれたときに、人間の関係性がいかに拡張──あるいは埋没──しうると思われますか?

豊田:
当然、関係性はより多様になっていきますよね。デジタルエージェントとの間に人間関係や価値を生みだして、そちらに時間や労力を割くようになっていく。

松島:
アバターのように実態のない人間との関係性も出てくるということですか?

豊田:
そうですね。ただ、同時に物質性の価値も高まるような気はします。最近AIの研究者の方々と話していると、「身体性」がキーワードになることが非常に多い。そういうものの価値がいまとは異なるやり方で編集されなおすのかなと。たとえばいまもSkypeみたいなツールで話してもなかなか伝わらないけれど実際に会うと話が早いというケースもありますよね。でも、ある程度技術が進むとVRチャットのほうが伝わりやすい要素も出てくるかもしれないわけで、選択肢が増えるというほうが正しいかもしれません。その選択肢をうまく選べる編集性みたいなものを、ぼくらのなかに育てていかないといけないはずです。

水口:
現実に会って打合せするより、ARグラスをかけて離れた場所で話したほうが効率はよくなる可能性は大いにあるでしょうね。ただ、いま起きている現実を置き換えるだけでは意味がないなとも思っています。単に効率が上がるだけではなくて意志を共鳴させながら目標に向かっていく力が上がるとか、ある種“魔法”の体験みたいなものがたくさん増えていかなければいけない。

松島:
いまぼくらはヴァーバルなコミュニケーションや視覚によるコミュニケーションに頼っていますが、そうではないものが混ざってくることによって新しい可能性が出てくるのだ、と。

水口:
そうですね。感じているものをシェアしながら、みんなで彫刻をつくっていくような体験を実現したいとぼくは思っています。

効率的な社会のなかで意志を生み出せるのか

江村:
つながりという意味では、やはり人と人の話になりますよね。つながり方はリアルもあればバーチャルもあるし、水口さんがおっしゃったようにXRを活用して過去までもつながるかもしれない。人と人のつながり方に多様性が出てくることには非常に豊かな可能性を感じます。同時に、豊田さんと水口さんがおっしゃっているように一緒にモノをつくるときはバーチャルに集まってつくるのが効率的かもしれないけれど、効率化とは異なるところでわれわれがどんな価値をつくっていけるのかが問われていますよね。NECの言葉でいうと、「人が生きる、豊かに生きる」感覚をどうつくっていけるのか。

松島:
生産性や効率性が求められるものはXRのような技術を使い、ほかの時間はある種「人間臭い」活動をするという考え方もあります。一方では、いまインターネットは人間の生活すべてに入り込んでしまっていて、プライベートな部分でも情報に追いかけられてしまう側面もある。そのバランスをどう設計するのかは重要な気がします。

水口:
テクノロジーのおかげでつねに情報量を落とさずコミュニケーションできるようになってもいますね。ただ、人間はどうしても忘れてしまう。どうすれば人の心に情報を残せるのか考えていくと、やはり複合的な体験が重要となるのではないでしょうか。香りと記憶、運動と記憶が結びつくように、共感覚的な体験は忘れにくいものになる。

江村:
前回の会議で、ドミニク・チェンさんが「笑顔」について話されていますよね。相手がいないと本当の笑顔は生まれないという話になりましたが、その時の「相手」は人間でなくてもいいかもしれない。笑顔や感情そのもののやりとりもできるようになってくると、簡単に人間らしさとそれ以外を分けることは難しくなっていくかもしれないですね。

松島:
いまスマイルマークをメッセンジャーで送るように、将来は本当に笑顔をやりとりできるようになるかもしれません。そこで共感は生まれやすくなるのだけれど、意志の共鳴という点ではそこからさらに一緒にアクションをとれるような設計を考えなければいけないはずです。たとえばスマートシティのように未来の都市は非常に効率的でコミュニケーションもとりやすくなって、インタラクションが生まれて、感情のやりとりもできるようになる。そこでつくられる社会が、果たしてただ効率的な社会なのか、新しい意志を生み出せるような関係性をつくれる社会なのかがひとつ重要なステップなのかなと感じます。

効率を離れ、「道具立て」の外へ

水口:
人間は効率だけではない何かを求めていくと思っています。感情的にいろいろな刺激を受けたり感動したりしないと、おそらく人間は幸せに生きていけませんから。あらゆる人は映画を観たり本を読んだりするなかでいろいろなストーリーを自分のなかに取り込みながら生きていて、口には出さなくても潜在的にそういったストーリーを通じて人生について考える時間は非常に長いわけです。スマートフォンが多くの人にとって手放せないものになっているのも、そこにアクセスできるからなのではないかと。

松島:
前回ドミニク・チェンさんは、日本で生きる人が200年前の西洋の物語を読んで共感して泣けるのはすごいことで、ある種の共鳴だとおっしゃっていました。XRのようなテクノロジーによって体験が拡張されると、さらにすごい共鳴が起きるのかもしれませんね。

水口:
そうですね。たとえば昔の人は手紙で意思疎通していて、メッセージをやりとりするのに片道一週間や一カ月かけていた。でもいまはアメリカに住んでいる人にもすぐメッセージを送れるようになっていて、それ自体はいいことだと思っています。もちろん、使い方によってはストレスになってしまうのですが。ただ、人間はストレスがないと生きていけない存在でもある。ストレスがかかることとそこから解放されることの繰り返しが人間の気分をある種のゾーン状態やフロー状態に向かわせることは研究で明らかにされています。じつは、音楽がやってきたのはまさにこの繰り返しです。マイナーに転調するとかサビが繰り返しくるとか、感情をつねに揺さぶっていて、そういうものがないとぼくらは幸せに生きられない生きものなんだと思います。だからみんな音楽を聴くことをやめない。ほとんどの人が音楽と人生を共にしているわけですから。

江村:
おっしゃるとおりですね。同時に、とくにわたしたちは効率側に振りすぎているのではないかとも感じました。会社の空間設計を考えるうえでも、感覚を変えていく必要があるかもしれません。

松島:
人と人のつながりをどうつくるのか、空間という点で豊田さんはどうお考えですか?

豊田:
ぼくは埋立地の人工都市で育ったからか、昔ながらの集落がすごく好きで。不特定多数の人の思いがドロドロ蓄積した様子は、ぼくらがまったく同じようにコピーしてもたぶん宿らせられない。そういう図面では描けないものを扱うのに一番近いのが、むしろデジタル技術ではないかと思っています。いまは道具立てで閉じすぎている。扱えるものが限られると正解も決まってくるし、評価の仕組みも決まってくる。そうすると閉塞感が生まれてしまう。工夫しようにも道具が決まっていたら工夫もありえないわけで、道具立ての外に行くことが求められているのだと思います。