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NEC未来創造会議

2nd Forum EXPERIENCE
ミラーワールドから“体験“を再定義する

2次元と数値化から遠く離れて
──「時間」を超えるXRがもたらすもの

動く彫刻としての「体験」と「共進化」

江村:
お寺や教会へ行くと、何かそこはかとない“雰囲気”を感じますよね。大阿闍梨の塩沼さんのお寺に行ったことがあり、そのときも感じたのですが、この空間はなにか違うなという感覚がつくられている。それは設計に組み込まれているわけではないのだけれど、感じるわけですね。豊田さんがおっしゃっていた高次元の設計にはこういう感覚も組み込まれていくんじゃないかなと思っています。

豊田:
高次元のものって扱えないことを前提にしなければいけないと思っています。これまではすべてを工学的に完璧に扱うことの美学が正当化されていて、とくに日本のものづくりの世界はその傾向が強かったと思うのですが、本来はもっと曖昧なものを曖昧なまま受け入れられる社会があったはず。その曖昧さをうまく価値に取り入れられないのはもったいないなと感じています。

水口:
先ほどの話と通じる部分がありますね。たとえば建築の中にいるときって、光の入り方や音の反響具合によってその場の雰囲気が変わりますよね。光と音の組み合わせによって人の印象や意識が大きく動いて変化していく。そういうこともアーキテクチャが扱うべき領域に含まれていくのだと思います。

豊田:
作品をつくられる際、水口さんがどのように体験をデザインされているのか気になっています。たとえば「振動」のように個別的に扱えるものだけではどうしようもない、雰囲気のような部分もイメージしながらデザインされているわけですよね。その関係はどう捉えられているんでしょうか。

水口:
最初のイメージはマルチモーダルなものなので、言葉や絵、ビデオなどいろいろなかたちでアウトプットしていきます。人とも話しながらたくさんつくっていく過程で徐々に解像度が上がっていくんですが、印象や体験が彫刻のようにできあがっていく。しかもそれは動く彫刻なんですよね。

豊田:
面白いですね。

水口:
みんなでその彫刻をイメージのなかでいろいろな角度から見つつ、体験としてつくっていく。ぼくらは長い時間をかけてつくることが多くて、最初の2年くらいはたいていプロトタイピングだけ続けていることも少なくありません。

松島:
その2年間で人間側の感覚も変わってきそうですよね。新しい感覚が呼び覚まされて見え方が変わったり。

水口:
ある種の共進化といえるかもしれません。ぼくらが彫刻を彫っているだけではなくて、彫刻からのフィードバックによってこちら側もどんどん変わっていく。

2次元で考えない、数値化して考えない

水口:
だから情報のアーキテクチャとリアルなアーキテクチャが同居していく世界を考えるときも、多くの人たちがさまざまなトライ&エラーを繰り返して実験できる場が必要なのだと思います。ただ、パーソナライズされた看板が出てくるとか、よくあるパターンのようにいろいろな情報が街のなかに配置されるような未来は本当に幸せなものなのかと疑問を感じますね。

松島:
それは情報時代のコンテンツをそのままもってきてしまうことでもありますからね。

水口:
そうですね。3次元で物事を考えることは、2次元の経験や過去の成功パターンを打ち消すことでもあると思っています。ぼくらは2次元に慣らされすぎてしまった。イメージのなかではもっているものをどうアウトプットできるのか、いろいろな人がソーシャルデバッギングをできるような場をつくってみてもいいのかもしれません。

江村:
前回の「RELATIONSHIP」をテーマとした会議でも何事も数値化されすぎてしまうという話がありましたが、マルチモーダルの話ともつながるように思います。本来、人は個別のパラメータではなく全体を感じとって良し悪しを判断しているのに、どうしても分解して数値化して説明したくなってしまう。もちろんその方がわかりやすいのですが、わたしたちが感じているのは数値ではないですよね。

松島:
数値に置き換えられるものとそうでないものを見極めないといけないですよね。前回ドミニク・チェンさんがおっしゃっていたように個性が数値化されてしまう懸念がある一方で、苦しみや痛みを数値化するとかえって他人と共有しやすくなるというメリットも生まれる。テクノロジーが回収できる部分できちんと数値化してあげることでまさにコモングラウンドのようなものがつくれるのかなと感じます。それによってはじめて、単なるパラメータでは捉えきれないものがクリアに見えてくるのかもしれない。

水口:
そうですね。たとえば100年前のバウハウスのアーティストたちはシナスタジア=共感覚性という言葉を使っているのですが、彼らは街の音の印象を絵画やビジュアルで表現しようとしていた。そういうアプローチがこれから必要なことだとずっと思っています。単に解像度を上げていくだけではなくて、人の意識や印象を変えうる音やビジュアルの配合を考えていかなければいけない。

豊田:
音とビジュアルを個別につくっていたら、お互いに共感はできないわけですよね。同じように、先ほど水口さんがおっしゃっていた体験が彫刻に見えてくる感覚は、ある作業を共有している人たちが感じられるようになってくるものなのかなと感じました。共有化していくことが価値につながっていくのかもしれません。

時間を超えていくXR

豊田:
共有化という点では、コンシャスな部分だけでなくサブコンシャスな部分にぼくはすごく興味があります。ただ、一方ではコンシャスな部分で扱える範囲や組み合わせが広がったことで、明らかにぼくらの感覚も変わってきているのも事実です。たとえばXRコンテンツに触れると強制的に自分の外に感覚がズレて、ゾワゾワしますよね。その体験がもつ可能性と、歴史や土地の匂いなどサブコンシャスな部分でしか生みようがないものを、うまくハイブリッドに組み合わせる手法を開発しなきゃいけないんだろうなと感じています。

水口:
XRの観点から考えると、XR体験の未来はおそらく時間を超えてくると思うんですよね。たとえば自分と同い年の父親や祖父とつながれるようになってくる。それは人の幸福ともかなり関係してくるんじゃないかと思っています。孤独なときや諦めそうなときに、自分の祖父や曽祖父と目の輝きも感じられるようなリアリティがある会話ができると、すごいエネルギーをもらえる気がするんです。

江村:
あるテレビ番組のことを思い出したのですが、著名人の家族史が調べられて本人も知らなかったような事実が明かされます。そこでみんな自分の先祖を見て、泣いてしまったりするわけですよね。ああいうことを一人ひとりがリアルに体験できる時代になると、世の中のイメージはたしかに変わるかもしれません。

水口:
そうですね。いまは多くの意味でつながりたいのにつながれないことが増えてきていて、分断と孤独が生まれている。でも、自分が来た方角というか、脈々と続いてきて一回も途絶えていないようなつながりのあり方を考えることに意味があるように感じます。

松島:
ありがとうございます。ひとつめの問いでは2050年までに情報から体験へのパラダイムシフトが生じるなかで、体験というものをどう捉えるか、マルチモーダルで高次元な情報をどう扱えるか議論してきました。つづくふたつめの問いで、まさにいま水口さんがおっしゃっていたような、空間だけでなく時間も含めたつながりや人に対する想像力をどう担保していけるのかという問題を深めていけたらと思っています。