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NEC未来創造会議

1st Forum RELATIONSHIP
“わたし“と”わたしたち“の「分断」をいかに乗り越えるか?

ポジティブ/ネガティブの二項対立を乗り越えて
──自律性を高めるウェルビーイングの可能性

自律性とウェルビーイング

コミュニティの再構築をめぐる議論は、テクノロジーが押し進めた効率化・最適化の功罪へと発展していった。一見、楽に生きられる世界のほうが人は幸せなように思えるが、むしろ面倒な道を選ぶこと/選べることこそが人間にとって重要なのかもしれない。近代化によって押し進められた数値化、合理主義は現在どのような反省が加えられているのだろうか。

ウェルビーイング研究で知られるドミニクは、同領域においても従来の西洋的な考え方が見直されているのだと語る。世界を覆う数値主義を乗り越え、ウェルビーイングを実現していくために──これからのテクノロジーはいかに発展し、いかに人間と関係を結んでいけるのだろうか?

松島:
ドミニクさんはウェルビーイングの設計論に関する本を監修されていますし、人間が困難な方向に進むことをいかにテクノロジーで後押しできるのかずっと問いつづけていらっしゃったと思います。テクノロジーが進歩することと人間の力を磨いていくことをどう接続できるのか。ウェルビーイングについてはどんな議論が行なわれているのですか?

ドミニク:
自分のかかわっているウェルビーイングの研究を通じて、あと10〜20年すれば面倒くさいことをする人のほうが評価されるような尺度をつくれるような感覚があります。ウェルビーイングにおいては「自律性」がずっとキーワードとされていて。昔から研究されていて、自己決定理論と呼ばれる理論が確立されています。エドワード・L. デシ先生という方が提唱したもので、すごく大雑把にいえば自分で決定してある状況が生まれたことを体感しないと持続的にウェルビーイングが達成できないということです。

松島:
なるほど。

ドミニク:
エンジニアリングの世界でも、京都大学の川上(浩司)先生が「不便益」という言葉をつくられています。分かりやすい例でいうと、オートマ車とマニュアル車があるとき、どう考えてもオートマ車の方が楽だし安心に思えますが、実はマニュアルの方がその車の状態が手や皮膚から直接伝わってきて、ロードインフォメーションに対してより敏感になれるそうです。だから、不便はダメだと切り捨てられるわけではない。この発想は認知心理学や発達心理学と結びつけられると思うのですね。面倒くさい道を通ることは、おそらく自律性能力をどんどん高めるわけです。それは面倒くさいことを自分で処理したり、処理するなかで別のスキルを身につけたりすることでもあります。教育ママのような人たちも、じつはそういう「道なき道」を進むスキルをもつ子どもに育ってほしいと考えるのではないかと。

松島:
大阿闍梨(塩沼氏)はまさに道なき道をずっと進んできたわけですよね。

身体性をいかに取り戻すのか

江村:
いまのお話を伺って、去年の議論を思い出しました。人工知能の話をしているなかで、塩沼さんが「人工ハート」はできるのかという問いを立てられた。そのときに議論になったのは、腑に落ちるとか納得したことをやるっていうのは頭じゃなくて……。

ドミニク:
体ですね。

江村:
そう、体、とりわけ「腹」なんです。人間の長い歴史のなかでは、みんな腹を表す言葉になっています。腹に据えかねるとか、腑に落ちるとか。英語だってガッツ(guts)といいますよね。だから自律性もなくやらされたことは身体的にもしっくりこない。ただ、試験で優秀な成績を残す人間こそがいいのだと子どもも親も考えているような状況で、いかにその価値観を組み替えるかがチャレンジになってくるなと感じます。

ドミニク:
もしかしたらその数値主義を逆手にとれるのではと考えています。いまウェルビーイング研究のなかで一番の課題となっているのは「どう測定するか」なんですが、たとえばいろいろなセンサーを身につければ腑に落ちていないことが生理的な信号によって捕捉できるかもしれない。言葉や数字で操作できない領域があることを、逆にテクノロジーに気づかされるというか。

塩沼:
そうなったらいいですね。

ドミニク:
「仲間」のようにバイアスをもっている人たちよりもAIは厳しくしてくれますから。指導者としてAIをうまく活躍するのはすごくありなんじゃないかなと思いますね。

江村:
去年も似たような話があがっていました。ただ、いまは数値化しやすいものを数値化してしまっていますよね。効率化についてはそれでいいのかもしれないけれど、人間のためにAIを活かすには何をすべきなのかこれからもっと議論しなければいけないでしょうね。

松島:
いまは数値化が進みすぎているので、学生の感覚にも評価経済が入りこみすぎている。ある種の“クレンジング”が必要ですよね。

ドミニク:
ただ、クレンジングといっても評価を禁止する方向はなかなか難しいと思っています。評価経済主義的ではないアルゴリズムや評価の仕方を考えなければいけない。たとえば数値は測るけれど数値としてフィードバックしないとか、振動や音のように簡単に比較できない非言語的な情報に変換するのもいいかもしれません。人間の数値主義を矯正する“養成ギブス”のように使える可能性はある気がします。

“We-mode”― 当事者にならないと見えないもの

江村:
いまのお話を伺って、塩沼さんにお聞きしたいことがあります。塩沼さんは何度も護摩行をやられているわけですが、毎回違うわけですよね。それは何かを感じられているのですか? そのうえでその場を変えるためにやり方を調整するものなのでしょうか。

塩沼:
100回やったら100回違いますね。季節や気温、湿度、参拝者の方々がもっている気みたいなものもありますし、もちろん自分の身体と精神の状態も関係している。ただ、不思議なもので、スタートした瞬間に今日は噛み合う/噛み合わないがわかります。始まらないとわからないけど、始まった瞬間にわかる。

ドミニク:
毎回噛み合うような法則を見つけようとするものなんですか?

塩沼:
それはありますね。こういうときはこう調整しよう、みたいな。野球のピッチャーもそうですよね。みんな調整したうえでマウンドに上がるけど、上がった瞬間に今日噛み合わないなと感じることもある。

ドミニク:
「相互作用論」という概念を最近知ったのですが、それと通ずる部分があるかもしれません。そのなかでも「We-Mode」というキーワードが最近話題になっています。これまでの研究者は、たとえば会話を分析するときに映像を記録して客観的に分析していた。ある種近代科学的なアプローチなわけですが、それじゃダメだということがわかってきて。研究者=観察者も会話という生きているシステムのなかに入らないと絶対に見えてこない種類の情報があるのではないかと、議論が進んでいるわけです。

松島:
面白いですね。それはうまく言語化されたり、学術論文に落とし込めたりするようなものなのでしょうか。

ドミニク:
いままさに研究段階ですが、すごく面白いですよね。もちろんセンサーで測って数値化して分析できることもあります。ただそれは、あくまでも現実の一側面でしかない。そのなかに入ってみないとわからない、当事者でしかわからない世界があるわけです。

松島:
文化人類学みたいですよね。集団のなかへ本当に入っていかないといけないという。

ポジティブとネガティブの二項対立を超えて

江村:
それは西洋医学と東洋医学の違いにも通じる気がします。西洋医学って全部センサーで測って対処療法で治しますが、東洋医学の医者は入ってきた患者さんの立ち姿からいろいろなことを見ていくわけじゃないですか。テクノロジーを全面に出すとどうしても測る方向に進んでしまうけれど、測れないものこそが重要だと思います。

ドミニク:
ウェルビーイングでもこれまではポジティブな感情を増やしてネガティブな感情を減らすことがいいと西洋の研究者は考えていましたが、それは単純すぎるのではと見直されてきています。エドワード・ディーナー先生という世界的なウェルビーイングの研究者がいるのですが、彼も東洋の学生たちと話しているうちに気がついたらしくて。

松島:
その学生たちには西洋的なウェルビーイングの理論が当てはまっていないわけですよね。

ドミニク:
とくに東洋ではいい・悪いの絶対量を比較しないことにディーナー先生は興味をもたれていて。

松島:
なるほど、ポジティブとネガティブどちらかだけじゃない。

ドミニク:
両方あるのが当たり前だと世界を認識しているのだと。東洋医学的に考えるとしたら、悲しいことやつまらないことというネガティブな感情も、自分という生全体の肥やしになるかもしれないわけです。そういう発想でウェルビーイングを捉えたいと思っています。

松島:
まさに面倒くささがそのままウェルビーイングにつながっている世界観ですね。

ドミニク:
つながっていますよね。悪いものをすべて排他するという考えから脱却しなければいけない。

たとえばどれくらいまでなら悪いものを溜めてもいいのかわかれば、もっと冒険しやすくなる可能性も出てくるわけですから。どうすればテクノロジーを使いながら人間をこうした方向に導いていけるのかを今後は考えていきたいと思っています。

松島:
今回はRELATIONSHIPというテーマでお話をさせていただいて、おそらくドミニクさんも仰っているようなテクノロジーと身体性や体験の話は今後もキーワードになっていきそうだなと感じています。ウェルビーイングのなかでも同じような動きが進んでいるというのは非常に面白いですね。