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メンバーズ・アイズ:塩沼 亮潤

塩沼 亮潤氏の写真

不易なものは、祈りと慈しみの心

四無行中、一日三度、勤行する

大阿闍梨の称号を持つ塩沼亮潤氏。阿闍梨とは、弟子の模範になるような位の高い僧侶のことを言う。阿闍梨の上に大阿闍梨という職位があり、千日回峰行(千日かけて山々を巡る行)などの難行苦行の修行を修めた僧侶だけに与えられる称号である。吉野山で千日回峰行を満行したのは、1300年の歴史の中で塩沼氏が2人目となる。現在は、仙台市にある慈眼寺の住職を務める傍ら、国内外で講演活動も行っている。『人生生涯小僧のこころ』『春夏秋冬〈自然〉に生きる』『歩くだけで不調が消える歩行禅のすすめ』『縁は苦となる 苦は縁となる』など、その著書も多い。

私たちは今、情報化社会と言われる時代にあって、AIやIoTを活用する新たな社会システムの台頭と対峙している。人類の長い歴史は、狩猟社会に始まり、農耕社会、産業革命がもたらした工業化社会、情報化社会へと変革を遂げてきた。そのなかで、「宗教」というものはどのような役割を担ってきたのだろうか。

「狩猟社会は、グループがあちこちに点在し、それぞれが運命共同体でした。皆が助け合わないと生きていけない時代だったわけです。農耕社会になると、水のある所に人々が集まって都市ができ、運命共同体から、生産性の向上を目指して目的至上主義に変わります。その目的のために、次に競争が起こり、人と人との関係が殺伐となる。その時に、宗教が生まれたと考えられます。そこには、時代の中心人物がいて、その人物が、開祖となる。釈迦であったり、イエスであったり、ムハンマドであったり。そして、彼らが心の拠り所になった訳ですが、残念ながら開祖は亡くなります。そうすると、仏教では…、キリスト教では…、イスラム教では…、と『出羽の守(何かにつけて他者の例を引き合いに出して語る人)』が出てきて、宗教の壁が生まれてきます。それが今ではないかと思います」、と塩沼氏は語る。

社会が変化する中では、変えてはいけないモノ、変わっていくモノを表す、「不易流行」という言葉が重要な意義を持ってくるとも指摘する。

「私は今、表現は適切ではないかもしれませんが、開祖を超えるくらいの気持ちで自らの生き様を実践していくという心と、素朴な信仰心が必要だと思っています。それこそが、『不易』の部分で、その原資となるのは、相手を思いやる心であり、祈りであり、慈しみの心なのです。これは未来社会でも変わらないと思います」。

和の心を反映した「日本的AI」を開発せよ

大峯山頂付近 鎖の行場

千日回峰行は、千日続けて歩き続ける修行ではない。吉野山では、気候や危険を考慮して、5月から9月にかけて、年間123日という行の期間が決められており、塩沼氏は9年間かけて、満行を成し遂げたという。人間の能力の限界に挑戦するため、様々な身体の痛みはもちろん、血尿が出るほどの苦行を果たしたのだ。

「7年目の時だったと思います。1回、自分の魂が身体から離れていく体験をした時は、びっくりしました。昼間で周囲も明るい中、歩いていたら急に、違和感を感じました。自分が数十センチ位上にいるような感じになってきたのです。頭に思い浮かんだことは、これ以上離れていったら、戻れない、死んでしまうということ。そこで、強い意志を持って、声を出し、自分に戻れ、戻れ、戻れと念じていました」、と塩沼氏。

「修行の行き着く先は死だ」と感じた塩沼氏はその後、限界を超えるのではなく、限界を押し上げるようなイメージを持って、修行に臨んだそうだ。

取水

社会が便利になる中で、人が本来持っていたはずの潜在能力が失われてきているのではないかとも指摘する。

「自分を追い込まない所で、修行をすることもできます。ですが、それでは後々後悔することになると思いました。限界まで持って行くと、断崖に咲いている悟りの花のようなモノが見えてくる。そこまで行ってこそ見えるモノ、感じるモノがある。離れたところからでは、高性能の望遠鏡を使っても見ることができません。それを超克するのが、体験であり、経験なんです」。

情報化社会の次は、データ主義社会が来る、と指摘する有識者がいる。そのような未来で、求められる「人間の知的資本」とは、どのようなものなのだろう。

「いついかなる時でも最良、最善の解決策をトータルで考えて、皆が幸せになれるような考え方、適切に判断するのは人間でなければいけないと思います。例えば、戦争をコンピュータでシミュレーションした場合、いろいろなデータから先に攻撃をしかけようと判断する。また裁判で、こういうデータがあるからあなたが悪いと、白黒をつけてしまう。しかし日本的な考え方は、昔の『大岡裁き』のように、双方の状況を深く理解した上で情状酌量という判断ができるのです。皆が幸せになるための判断ができる、『日本的なAI』を創造することができたら、素晴らしいことだと思います」。

「不易流行」や「足るを知る」という言葉に象徴される「和」の心。「それを具現化するAIができたら、大変面白い」と塩沼氏は語る。

人が生きていく上で、本質的なものは何か。日本には、100年以上続く、老舗といわれる長寿企業が数多く存在する。そうした企業に共通していることは、効率や低価格を追求するのではなく、身の丈経営を行い、自らの商売に関わる人々や、必要な原材料を育む自然に対して投資を行い、関係を保ち続けてきたという実績であり、時代の流れと自社の成長のバランスをいい塩梅で考えてきたからではないだろうか。

「和の価値観をさらに磨き、その感性を反映した情報技術を世界に発信していくことが、日本再生につながるのでは」と、塩沼氏は結んだ。

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